食堂がこのように、多くの人に開かれた場所として使われ始めたのは、吉田寮の在寮期限闘争(~年)のころからです。在寮期限闘争とは、大学当局が吉田寮に対して一方的に在寮期限をつきつけ吉田寮を廃寮化しようとしたときに、当時の寮自治会が抗議を行ってそれを撤回させた一連の経緯のことです。
当時の自治会は廃寮化を阻止しようとする過程で、吉田寮を外部へ開いていこうとしました。それは吉田寮に関わる潜在的な当事者の存在を明らかにして、大学当局へ強く主張していくためでした。それまでは男子学部生しかいない寮だったのですが、食堂などを中心に、積極的に外部の人と関わる場としていったのです。それによって男子学部生だけでなく様々な立場の人の視点が取り入れられ、今の自治会の理念(当事者間の合意で物事を決める、様々な立場の人を排除しない)が形成されました。入寮資格の拡大が行われたのも当時です。女子学生、留学生、大学院生、聴講生などの入寮、また同伴入寮なども可能になりました。
こういった流れの中で食堂は寮と寮の外をつなぐ場所として使われるようになり、そこで様々な人が出会ったことによって、理念が生まれ、面白い活動が生まれてきたのです。言いかえれば食堂は、吉田寮が外に開いていく上でなくてはならない場所だったのです。食堂が現在開かれた場所となっていることにはこのような経緯があり、食堂は寮生やそのほか食堂に集まる人たちにとって非常に重要な役割を果たし続けているのです。
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