京都帝国大学寄宿舎が開設したのは1897年9月11日(大学の開設とほぼ同時期)である。大学は初め第三高等学校の建物の一部を間借りしており、寄宿舎はさらにその事務室の一角を代用していた。第三高等学校が二本松地区に移転したことにより、現在の本部構内の校舎などを京大が譲り受け、寄宿舎も瀟洒な三階建ての建物となった(この時点では、現在の附属図書館の北東に位置していた)。
寄宿舎を開設した木下総長は、当初学生を「大人君子」として扱い放任主義を貫いた。後に風紀の乱れが問題となると、学生側などから自治組織が立ち上がり、一定の規律を設けて寄宿舎運営を行うこととなった。実質的な自主入寮銓衡が始まったのも当時である。また寄宿舎では高校との交流が行われたり、講演会などの催しものが開かれた。
「歳暮之巻」(1906年) |
京都帝国大学寄宿舎誌 (1912年) 本部構内に建つ寄宿舎を背にして、当時の舎生が写っている。 |
ところが1911年、当時の菊池総長は、寄宿舎を閉鎖して新寮を建てることを決定。新しい寄宿舎では従来の一室四人制を廃止して個室制にするとともに、大学当局*¹が入寮選考を行い学業優秀なものを優先的に入舎させるという。当時の舎生は新寄宿舎を「『高等下宿屋価値』だけで何ら精神的価値を見いだせない」と評した。また当局の決定が自分らに何らの相談もなく行われたことに憤慨し、抗議の意味を込めて自らの手で寄宿舎の解散式を行った。
*¹大学当局……大学当該部局の略称。「大学」と一言でいっても学生や職員など様々な立場の人を含むことから、区別をつけるためにこのような名称が用いられている。
「舎生総会記録」 寄宿舎解散が可決されたことが書かれている。 |
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