吉田寮には1980年代に廃寮化されそうになった経緯があります。当時の大学は、吉田寮が自主的に運営を行っていることを不正常だとみなして、廃寮にしようとしました。当時の寮生たちはこれに抗議しました。そして自治会として、吉田寮に関わりたいと思う人を広く受け入れて、寮を残すことを一緒に主張していったのです。例えば、大学側に先駆けて入寮枠の拡大が行われたのもこのときです。また給食機能を停止された吉田寮食堂は、多目的空間として開放され、芝居やライブの開催を通じて様々な人が関わることのできるような場となりました。
その結果、それまで男子学部生しか入寮することのなかった吉田寮に、より様々な立場の人が関わるようになったのです。異なった立場の人どうしが同じ場を共有するにあたって、誰かが立場の違いによって不利益をおしつけられることがないよう、考える必要が出てきました。そういったなかで「何か問題が起こった際には、話し合いなど当事者間の合意によってそれを解決する」という考え方が共有されるようになったのです。
「安易に一方的な決定を受け入れてしまうのではなく、納得がいくまで当事者間で話し合い、そのうえで結論を出すことを大切にする。そうすることで吉田寮を、立場の弱い人でも意見が言いやすいような場所にしていく。様々な人の意見を取り入れることによって吉田寮をよりよい場所にしていく」これは当時から今に至るまで、吉田寮に受け継がれている考え方といえるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿