2011-12-08

7.メディア・出版物から見る吉田寮の姿

1.外から見た吉田寮
 吉田寮は、多くのメディアや作品に取り上げられてきています。ここではその一部を紹介します。

「猫のいる庭」(かわいゆみこ 心交社 1998年)
 吉田寮を舞台にした恋愛小説。寮内の描写がかなり細かく描かれている。ささくれだった畳や、廊下にともるむきだしの蛍光灯、中庭に生えているなぜか南方系の木々……。吉田寮を舞台にすることで、そのイメージを作品に活かしている。

「朝日グラフ 2・6号」(1987年)
 様々な角度から撮影された吉田寮の写真が掲載されている。寮内で生活する人々にスポットが当てられた写真集。バンド活動をする人、バイトをしながらシリア語を研究する人……。寮に人が暮らす様子は、寮が特殊な場所ではなく、当たり前に生活する場所であることを思い起こさせる。

「てんぐ」(本田恵子 雑誌「コーラス」1997年8月号 集英社)
 吉田寮を舞台とした恋愛漫画。主人公の女性は、廃寮化を阻止する運動に巻き込まれ、最後には初の女子寮生になってしまう。彼女はいったい吉田寮の何に惹かれたのか。それは「お金では買えないもの」だった。いつも誰かがそこにいる空間。「久しぶりにおいしい空気を吸っている気がしてる」というセリフ。外の世界にはない何かが、吉田寮にはあるのかもしれない。

 このほかにも、1993年2月17日の京都新聞夕刊に、学生自治寮の現在の姿として登場。「大学の選び方95」(週刊朝日増刊)の学生寮特集でも紹介されています。また映画「連合艦隊」の中で、吉田寮前の銀杏並木がロケに使われました。最近では「加茂川ホルモー」のロケ地ともなっています。


2.吉田寮自身が残した記録
 約100年の歴史の中で、吉田寮自らがまとめた文章も多くあります。ここでは主なものを紹介します。今昔吉田寮展」のなかで出てきたものもあります。

「以文会誌」
1909年にできた全学的文化団体「以文会」が、広く京大生を対象に発行した雑誌で、毎回のように寮日誌の抄録が掲載されている。「学友会誌」にも同様の寮日誌が綴られている。

「京都帝国大学寄宿舎誌」(その1)
  1910年から1912年にかけて3号のみ発刊された。「以文会誌」の寄宿舎欄だけに留まらず、寄宿舎の主張を広く学内に伝えようという目的もあったようだ。内容は寄宿舎論、寄宿舎生活の紹介、OB(舎友と呼ばれた)通信など。第3号には自主解散の顛末が詳しく書かれている。

「去来」
戦前には「友松」という舎誌があったらしい。戦後1951年にその「友松」を復活すべく始まったのが、舎誌「去来」。卒業者のメッセージなどが掲載される貴重な記録であり、また平沢興総長の寄稿などもある。京大闘争の前年1968年に発刊された最終号には、当時の吉田寮闘争委員会の若狭雅信の詩が掲載された(後にペンネーム「高城修三」として芥川賞を受賞)。これらの寄宿舎誌は、吉田寮文化部が発行した。

「京都帝国大学寄宿舎誌」(その2)
 和紙に毛筆で綴られた回覧雑誌が1906年より昭和期始めにかけてつくられ、これも寄宿舎誌と呼ばれた。内容は、舎生たちの寄宿舎論、寄宿舎行事の記録、随想、小説、旅行記(含写真)、ポンチ画など様々。総務日誌も生活の様子を伝えている。
そして、以上の「寄宿舎誌」と「総務日誌」を吉田寮OBの手で復刻したものが、700ページに渡る「京都帝国大学寄宿舎誌」である。1986年刊行、限定300部印刷された。忠実に日誌を再現しており、明治期から昭和の15年戦争までをとりあげている。発行は、有志の舎誌編纂委員会による。

「吉田寮新聞」
1984年から1993年まで、文化部が吉田寮新聞を発行した。在寮期限の到来により、寮外に吉田寮をアピールしていこうという狙いと、寮生自身の表現の深化のために始まった。内容の充実ぶりと、広く購読を呼びかけた(ミニコミ専門店や生協などに置いた)ことから多くの読者を獲得し、毎月の刊行にも関わらず、かつての寄宿舎誌に勝るとも劣らないボルテージを維持した。しかし在寮期限が終結し、狙いの消失とともに内容が吉田寮生の支持を得られなくなったこと、発行費用の負担が増加したことから、残念ながら1993年の寮生大会で発行中止が決定。その後1993年に復刊し、現在に至る。

「電柱ファン」
 吉田寮内に編集部があったミニコミ雑誌。その前身「自転車を除く」とともに、多くの寮生が編集に関わった。有志団体による発行。
 1983年、鴨川の川辺で白衣を着た調査隊が、メジャーを持ってアベックとアベックの距離を時系列で計った。そのときアベック同士が、アベックの数に応じて距離を調整しながら等間隔に座ることを、京都で初めて明らかにした。動物の本能的な防衛距離の取り様を、鴨川のアベックで実証したことが画期的で、この特集は多くのマスコミに引用された。

「記念誌」
 OBによる記念誌としては「野田もとさん追悼集」がある。これは、1940年から20年間勤められた寮母「野田もと」さんが亡くなられたときに、OBが追悼集としてまとめたもの。終戦直後の苦学生が多かった頃、縫物をしてもらったりある時は小遣いをもらったりと、世話になる寮生が多く、卒業後も「野田のおばあちゃん」として慕われ、OB会が開かれていた。
 また最近では1997年に、1956年卒業者を中心に「銀杏並木よ永遠に――京大吉田近衛寮の青春像」という文集がつくられている。有志の編集委員会の発行。

「吉田寮資料集」
1994年には、1985年から1990年までの吉田寮の廃寮反対闘争の生資料を集めた「在寮期限の到来からその終結へ」という冊子が刊行されている。自治会方針や、学内団体のチラシ、大学当局の発行物などを網羅した内容。発行は「資料集を公刊する会」という有志団体による。

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