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2012-01-19

1.「在寮期限」を経た取り組み

吉田寮の老朽化対策について、これまで自治会がどのような取り組みを行ってきたのか、ここではその大まかな経緯を紹介したいと思います。

吉田寮の老朽化については、1960年代頃から指摘がなされてきました。「在寮期限」闘争*¹の際には、大学側は吉田寮を老朽化を理由に廃寮しようとしました。当時の寮生などが廃寮反対の運動を行った結果、最終的に「在寮期限」は撤回され吉田寮は存続することとなりましたが、当時の寮生は「今後も吉田寮自治会を存続させ、福利厚生施設として維持していくためには、寮の老朽化問題を何とかしなければならない」と考えました。自治会は「在寮期限」を経て、建物の老朽化の問題に取り組んできたのです。当時、その解決策として挙げられたのが、新寮建て替えです。それから何年もの間、吉田寮は大学側に対して新寮を求めてきました。しかし、寮生の自治による運営を重視する自治会の求める新寮と、文科省の学寮に関する方針とのすれ違いがあり、自治会の求めるような新寮を建設することが難しい状況が見えてきました。

*1 「在寮期限」闘争……1970年代に大学側は吉田寮に「在寮期限」を設定して廃寮化しようとしたが、当時の寮生らがこれに抗議し廃寮反対運動を拡大した結果、吉田寮は廃寮化を免れた。この一連の経緯が在寮期限闘争と呼ばれている。

2.大規模補修に向けた取り組み

こうした流れの中、大規模な補修を行い老朽化を解決する、という新たな方向性が2002年ごろから検討されはじめました。それまでにも、雨漏りを直す、窓を直すなどの日常的な小さな補修は行われていました。しかしそれとは別に、建物を長く使っていくための補修が必要だろうということが言われたのです。その方法を探るため補修特別委員会が設置されました。そして寮内での議論の後、自治会は大規模な補修を大学側に求めていったのです。大学側も、当時の尾池副学長などを中心に吉田寮の大規模補修に向けて動き出し、2005年には大規模補修に向けた耐震調査や、補修の設計が行われました。しかしこの計画は、2006年夏から秋にかけての概算要求*²の学内選考において、廃案になってしまったのです。

*2 概算要求……国立大学法人の予算のうち、文科省に大まかな使途と金額を算出して請求する予算。学内予算に対して、国から降りる予算という意味で使われる。

3.大学側から建て替えの打診

そして2006年10月、大学側から、それまでの交渉内容とは一転して「京都大学重点研究アクションプランという予算枠で、吉田寮を建て替えたい、10月23日までに返答をくれればすぐにでも実行に移る」という話が持ちかけられます。
それまで大規模補修で大学側と合意に至り、設計まで行われたにもかかわらず、突然全く別の提案がなされたのです。老朽化対策という、自治会にとって非常に重要な問題に関し、約2週間という短い期間で答えを出すことを迫られ、自治会は少なからず混乱しました。「今建て替えるか」か「今は見送るべき」かで寮内は大きく割れ、さらに細かい意見の相違、その他諸々の意志決定に関わる問題から議論は錯綜し、連日連夜の議論を重ねても合意には至りませんでした。
回答期限の10月23日、自治会は当時の東山副学長と「もし建て替えを行うのであれば、このような条件であれば合意可能である」という内容の確約を結ぶため、団体交渉を行います。しかしこの団体交渉は、大学側から設けられた時間制限により、ひとつひとつの項目について話し合うことができず、話はまとまりませんでした。

4.続く大学側との話し合い

2008年には、尾池総長(当時)および東山副学長(当時)が退任し、新たに松本総長および西村副学長が就任しました。
副学長交代に伴い、吉田寮は、それまで引き継がれてきた確約を新副学長に確認してもらう「引継団交」に向けた準備を進めます。この確約というのは、自治会と大学間の基本的な約束事を文章で確認するものであり、新棟についての話し合いを行う際の前提となる約束事です。しかし、引継団交に向けた交渉は難航を極めました。大学側は、それまで自治会が大学側と確約を結んできた経緯について「今まで自治会の決定権を認めるような確約を結んできたのは間違いだった」などと発言していたからです。自治会が再三にわたって確約の意義を説明し、その文言の表現について大学側に大幅に譲歩することで、最終的に確約を結ぶことはできました。しかしそれは2010年7月、交渉が始まってから、約2年半後のことでした。このような経緯があって老朽化対策の議論は一時停滞してしまったのです。

またこの間、大学側から老朽化問題に関する提起が行われました。2009年4月に「吉田南キャンパス最南部再整備計画(案)」が提起されたのです。これは、吉田寮に隣接した敷地に新棟を建設し、現吉田寮を建て替えるという計画です。自治会は、現吉田寮を建て替えるかどうかは別の話として、まずは新棟について話し合っていくということを大学側と確認しました。新棟に関する予算の国への要求期限が2009年6月と直近だったため、多くの時間を割いて議論が行われましたが、国への予算は結局通りませんでした。しかし大学側が、第二次中期計画*³で確保した予算を吉田寮の老朽化対策のために使いたいということで、議論は継続しています。

2010年10月、西村副学長の任期満了に伴い、赤松副学長が就任しました。翌年3月には赤松副学長との確約の引き継ぎが終わり、引き続き、吉田寮の老朽化対策について話し合いを続けています。吉田寮の老朽化対策については、今も話し合いの最中であり、何も決定していません。

*3 第二期中期計画……大学が独自に捻出した積立金で実行する計画。国に直接申請する概算要求より用途の自由度が高い。